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出家したい

再び暇な三連休・・・
暇になると、これまでの人生を振り返ってしまう(笑)

振り返れば、本当に不思議な人生だった。
よく還暦を過ぎるまで生きてこられたものだと思う。

いずれにしても、この世への執着は日を追うごとに薄れていく。

リタイア後に出家する人が増えているという話を耳にするが、その心境は何となく理解できる気がする。

もっとも、自分にはそこまでの精神的な余裕も行動力も残っていない。
出家などという大それた決断をすることもできず、これから先をどう生きていけばよいのか、その答えもまだ見つからない。

そもそも、現代の「出家」とは、得度を受けて僧籍に入るような本格的なものばかりではないらしい。
俗世の煩わしさから距離を置き、会社員時代のしがらみや人間関係、時間に追われる生活から解放されて、静かに余生を送りたい――そんな思いを抱く人も少なくないという。

そう考えると、リタイア生活そのものが、すでに小さな出家のようなものなのかもしれない。
しかし、形の上で俗世を離れたとしても、心の在り様まで変わるわけではないのだろう。

結局のところ、どこにいても「どう生きるか」という問いからは逃れられない。

さて、この先どうしたものだろうか。
まあ、生きるも死ぬも大差ないのだから、なるようになるだろう(笑)

黙示録の獣復活

去年7月から続く、しつこい付きまといアクセスへの対策として、先月一カ月間はWebアクセスを国内および主要サーチボットのみ許可し、それ以外の海外アクセスはルーターでDROPする運用を継続した。

DROP数などの推移から終息に向かっていると思われたため、「野良アクセス観測再開!?」の記事にあるように、7月1日より正規サイトへの国内限定制限を解除している。

昨日までの半月間は、例の付きまといアクセスはほぼ終息したように見えていた。

ところが本日、深夜0時から早朝5時頃にかけて、iPhone OS 13_2_3 をまとったTencent経由のスクレーパーが復活していた(笑)

170.106.84.136 (170.106.84.136) - - [16/Jul/2026:00:39:30 +0900] "GET / HTTP/1.1" 200 3807 "-" "Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 13_2_3 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, like Gecko) Version/13.0.3 Mobile/15E148 Safari/604.1"
43.159.148.221 (43.159.148.221) - - [16/Jul/2026:00:48:16 +0900] "GET /wb-selection/ HTTP/1.1" 200 10358 "-" "Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 13_2_3 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, like Gecko) Version/13.0.3 Mobile/15E148 Safari/604.1"
・・・・・
43.130.67.6 (43.130.67.6) - - [16/Jul/2026:04:29:03 +0900] "GET /wb-selection/posts/2020-11-06-082942/ HTTP/1.1" 200 4050 "-" "Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 13_2_3 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, like Gecko) Version/13.0.3 Mobile/15E148 Safari/604.1"
43.157.156.190 (43.157.156.190) - - [16/Jul/2026:04:37:13 +0900] "GET /wb-selection/posts/2021-08-15-073112/ HTTP/1.1" 200 4648 "-" "Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 13_2_3 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, like Gecko) Version/13.0.3 Mobile/15E148 Safari/604.1"
43.157.82.252 (43.157.82.252) - - [16/Jul/2026:04:48:02 +0900] "GET /weblog/posts/2022-03-05-070211/ HTTP/1.1" 301 381 "-" "Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 13_2_3 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, like Gecko) Version/13.0.3 Mobile/15E148 Safari/604.1"

iPhone OS 13_2_3 というバージョンから、下記の引用にちなみ、このスクレーパーを「黙示録の獣」と呼んでいる。

リッスンポートによるLOGの分離

去年7月から続くしつこい付きまといアクセスが終息に向かっている為、7月1日より正規サイトへの国内限定制限を解除している。

解除時の記事はこちら。
野良アクセス観測再開!?

制限解除以前は、正規サイト(Main Server)については国内ネットワークからのアクセスと主要サーチエンジンのクローラのみを通し、それ以外はすべて Others に振り分け、アクセスログも分離していた。
また、Others 側のコンテンツは正規サイト(Main Server)とは全く異なる内容としていた。

●過去の振り分けイメージ

Internet
   |
   v
+----------------------------+
|        Router              |
|     iptables / NAT         |
+----------------------------+
   |                      |
   |                      |
 Normal                 Suspicious
 / Allowed              / Unknown
   |                      |
   v                      v
+----------------+   +----------------+
| 192.168.1.1:80 |   |192.168.1.1:9080|
| 192.168.1.1:443|   |192.168.1.1:9443|
| Main Server    |   | Others         |
+----------------+   +----------------+

7月1日以降は、すべてのアクセスを正規サイト(Main Server)側へ通し、Others への振り分けを廃止したため、Others 側の構成は役目を終えていた。

何か活用できないか検討した結果、国内ネットワークからのアクセスのみを正規サイト(Main Server)へ通し、それ以外のWebアクセスはすべて Others 側へ振り分けることで、アクセスログを分離する目的に利用することにした。
Others 側の公開ディレクトリには、正規サイト(Main Server)のディレクトリへのシンボリックリンクを作成し、両者で同一のコンテンツを公開している。
サーチエンジンのクローラも Others 側へ振り分けられるが、コンテンツは正規サイトと完全に同一であるため、実用上の問題はない。

iptables構成

●PREROUTINGチェイン
PREROUTINGチェインにて、Main Server と Others への振り分けを完結させる。

何も求めない

蒸し暑い土曜日、三川公園付近の背割堤を歩いてみたが、三百メートルほどで音を上げた。
木陰もなく、照り返す舗装の上を往復するだけ。
それで十分だった。
もともと目的地など、なかったのだから。

近郊は飽きてしまい、行くところがない、というのは案外、正直な感覚だ。
若い頃なら「どこか行かなければ」という焦燥があったのかもしれないが、今はそれすらない。
行かなくても、別に何も減らない。


家に戻って、何年も触っていなかったバイオリンを引っ張り出した。
松脂の匂いを嗅ぐのも久しぶりだった。
調弦して、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」の冒頭を弾き始める。
指はもう覚えていなかったが、体のどこかが覚えていた。
思っていたほど、遠い記憶ではなかった。

ミュートを付けても、案外うるさい。
近所迷惑を考えて、数小節で引っ込めた。それでよかったのだと思う。
あの曲は、誰かに聴かせるために弾いたわけではない。
弾いてみたかっただけだ。

理由のない行動、というものが、この歳になるとかえって貴重に思える。
「意味があるから」ではなく、「ただそうしたかったから」動く。
それだけの動機が、いつの間にか希少なものになっていた。


このところ、生きていることの意味の希薄さについて、よく考える。

肉体は維持コストのかかる器でしかない。
食べて、寝て、老いていくだけの装置。
資産は使えば減る、砂時計のようなものだ。
人間関係も、突き詰めれば損得で動いているように見えることが多い。
血のつながりですら、それは例外ではなかった。

それでも、これは「絶望」とは少し違う。
むしろ、期待しなくなったことで得られる、ある種の静けさに近い。

仏教には「四苦八苦」という言葉がある。
生老病死の四苦に、愛する者と別れる苦(愛別離苦)、憎む者と会う苦(怨憎会苦)、求めて得られない苦(求不得苦)、心身の働きそのものが生む苦(五蘊盛苦)を加えた八つ。
並べてみると、これはそのまま今の自分の生活の目録のようにも見える。
老いていく体は生老病死そのものだし、家族への失望は愛別離苦と怨憎会苦の入り混じったものだろう。
資産をどう使うか分からずにいるのも、求不得苦の一種なのかもしれない――欲しいものが分からないという形の渇望。

欲がなくなる、というのは、悟りに似ている。
仏教でいう「執着からの解放」とは、こういうことかもしれない。
何かを強く欲しがらなくなると、失うことへの恐れも同時に薄くなる。
資産が減っても、家族に裏切られても、心の芯のところは案外揺れない。
それは強さというより、単に「賭けているものがない」だけなのかもしれないが。
四苦八苦がもとより生きることに織り込まれているのなら、それに気づいた分だけ、少しは身軽になれるのかもしれない。


仏教の考え方は、いまの自分には不思議なほど腑に落ちる。
それでも、心のどこかには、まったく別の世界観も残っている。

一方で、自分の中には、聖書的な終末論の影響も色濃く残っている。
母がかつて熱心な信者だったことの名残なのだろう。
「新しい天と地」という言葉には、今も惹かれる。
今のこの、腐りかけた世界の仕組み――経済、老い、人間関係のしがらみ――そのすべてが刷新される日を、どこかで待ち望んでいる自分がいる。

人格神としての聖書の神には、正直まだ馴染めない。
あまりに人間くさい。
むしろアインシュタインが語ったような、宇宙の秩序そのものとしての神のほうが、自分としてはしっくりくる。
だが、それでは「新しい天と地」を待ち望むことはできない。
法則には慈悲がないからだ。

この矛盾に、答えは出ていない。
おそらく、生きている間には出ないのだろう。
論破すれば解決する種類の問いではない。


「何が欲しいか」と聞かれれば、今は「特に何も」としか答えられない。
それは投げやりというより、正直な現在地だ。

ただ、今日、なんとなく弾いてみたバイオリンの音だけは、少しだけ心に残った。
数小節で引っ込めたけれど、悪くなかった。

何も求めていない、という場所にいながら、それでもふと手を伸ばすものがある。
矛盾しているようで、案外それが今の自分そのものなのかもしれない。

明日になれば、また何もしない一日かもしれない。
それでも、そんな日々も悪くはないと思っている。

見えない視線とパラレルな執着

あと7日で、あの奇妙な出来事から丸一年が経過しようとしている。

去年の7月17日、私は定年退職した元職場の関係者に呼び出され、身に覚えのない「メールアドレス漏洩」の容疑者として追及を受けた。
その追及があまりにも稚拙で論理性を欠いていたため、私は事実関係を理路整然と反論。
後日、「ITリテラシーの低さが生んだ冤罪である」という旨の指摘をメールで送った。

会社側からは平謝りの謝罪メールが届き、件の騒動はそこで一度、幕を閉じた――はずだった。

しかし、本当の「不気味な物語」はそこから始まった。

ここから先は、あくまで私の自宅サーバーが記録した「不可解なデータ」と、身の回りで起きた偶然の一致に過ぎない。
確証があるわけではないので、現代のネット社会に転がる「都市伝説」の一つとして話半分に読んでほしい。

すべてが解決したはずの7月下旬以降。
私が運営する自宅サーバーのログに、ある「奇妙な足跡」が残るようになった。

それは一般的なクローラ(自動巡回)の動きとは明らかに異なっていた。
わざわざ古いスマートフォンの環境を偽装したり、クラウドサービス(AWSやTencent)の陰に隠れたりしながら、まるでこちらの様子をじっと窺うような、不自然な監視アクセス。

さらに不可解なのは、ネットのログと「現実の世界」が奇妙な連動を見せ始めたことだ。

9月、あまりの不快感から元関係者に「金輪際、関わらないでほしい」と完全な決別メールを送った。
すると、その直後である。
自宅の固定電話に、出る直前で切れる着信が連続して4回。
さらにその後、女性の声で「お世話に……」と言いかけて切れるという、奇妙な電話が入った。

さらに10月のある日には、有償の外部マーケティングツールを悪用したかのような、短時間で約2,700ページにおよぶ古いブログ記事を一斉に吸い上げる猛烈なアクセスが記録された。

過去の他愛もない日常の記事まで、隅から隅まで血眼になって貪り読むかのような、異様な貪欲さ。
もしかすると、「メールアドレス漏洩」の証拠とやらが、そこに都合よく転がっているとでも思ったのだろうか。

もしそうだとしたら、あまりにも滑稽な話である。
自分の正当性を証明しようと、藁にもすがる思いで証拠を探していたのか。
あるいは、私を攻撃するための材料を必死に探していたのか。

画面の向こうで、マウスをカチカチとクリックしながら焦燥感に駆られている『誰か』の姿を想像すると、恐怖を通り越して唖然としてしまった。
しかし、残念ながら、そこに彼らが求めるような「都合のいい真実」などあるはずもない。
残されたのは、システムに刻まれた猛烈な負荷のログと、彼らの空回りの足跡だけだった。

ネット上の不審なアクセスと、現実の無言電話。
これらは果たして、ただの偶然が重なっただけなのだろうか。
それとも、私の「決別」や「発言」に過剰に反応した、画面の向こうの『誰か』の執着心が具現化したものなのだろうか。

もし後者だとしたら、定年退職した一企業の元従業員を追うために、それだけの熱量とコストを費やしていることになる。
その歪んだエネルギーの源泉は、一体どこから湧き出ているのか。
想像すると、少し背筋が寒くなる。

あの冤罪事件からまもなく一年。
信じるか信じないかはあなた次第だが、画面の向こうの「見えない視線」は、今日も私のサーバーのログに、その哀れな足跡を残し続けている――かもしれない。