米国政治を動かす「聖書預言」という視点

世界を動かしているもの

中東情勢を見ていると、国家間の利害や経済合理性だけでは説明しきれない出来事が少なくない。

その背景の一つとして挙げられるのが、米国の保守的な福音派と政治との強い結び付きである。

彼らの多くは、1948年のイスラエル建国や1967年の第三次中東戦争によるエルサレム掌握を、単なる歴史的事件ではなく、「聖書預言の成就」の始まりとして受け止めている。

旧約聖書『創世記』には、「あなたを祝福する者を私は祝福し、あなたをのろう者を私はのろう」という言葉が記されている。
この聖句を文字どおり受け止め、「アメリカが神の祝福を受け続けるためには、国家としてイスラエルを支持しなければならない」という信仰が、キリスト教シオニズムの根底にある。

さらに、ディスペンセーション主義と呼ばれる聖書解釈では、『エゼキエル書』38-39章に描かれる「ゴグとマゴグの戦い」が終末時代の重要な出来事とされている。
そこでは、ペルシャ(現在のイランと結び付けて解釈されることが多い)を含む連合勢力がイスラエルへ侵攻し、その後にキリストの再臨へと至るという理解がある。

もちろん、こうした解釈はキリスト教全体で共有されているものではない。
しかし、米国ではこの世界観を支持する福音派が大きな政治的影響力を持ち、共和党、とりわけトランプ陣営にとっては最も重要な支持基盤の一つとなっている。

そのため、エルサレムへの米国大使館移転や対イラン強硬姿勢なども、単なる外交政策や経済的利益だけでは説明できず、宗教的信念が少なからず影響していると考える識者も少なくない。

もしそうであるならば、私たちが目にしている国際情勢は、「政治の駆け引き」や「資本の論理」、さらには人間の欲望や思惑だけで動いているのではなく、それらを遥かに超えた大きな流れの中で展開しているようにも見えてくる。

物質的な因果関係や科学的なロジックだけで世界を説明しようとすると、かえって一つの疑問に突き当たる。

なぜ歴史は何千年もの間、これほどまでにイスラエルという小さな土地へ収束し続けるのだろうか。

そして、なぜ古代の聖書に記された出来事と現代世界が、不思議なほど重なり合って見えるのだろうか。

もちろん、未来を断定することはできないし、預言の解釈にもさまざまな立場がある。

しかし、人間が「自分たちの意思で歴史を動かしている」と思い込んでいるその背後で、人知を超えた何らかの大きな流れが働いているのだとすれば、人間の浅智慧でそれを止めたり、完全に理解したりすることはできないのかもしれない。

世界の歴史は、ときとして目に見えない巨大な筋書きによって運ばれているように感じられる。

だからこそ私は、その熱狂や恐怖に巻き込まれることなく、一歩距離を置き、歴史の目撃者として静かに見つめていたいと思う。

人知を超えた大いなる流れがあるのなら、それに無理に抗うのではなく、謙虚な心でその行方を見守ることこそ、私たちにできる最も誠実な姿勢なのではないだろうか。