昨今の中東情勢の悪化や、気候変動による猛暑、地震などの自然災害が相次いでいる影響なのだろうか。
最近、ニコラス・ケイジ主演のB級映画 「レフト・ビハインド」 を何度も見返してしまう(笑)
低予算らしく無名の俳優も多く起用された作品で、映画としての完成度は決して高いとは言えない。
しかし、不思議と印象に残る作品でもある。
ニコラス・ケイジはもちろんのこと、個人的にはリー・トンプソンの存在感も目を引いた。
先日発生した熊本の大きな地震もあり、改めてこの映画を思い出したので記事にしてみることにした。
「レフト・ビハインド」(Left Behind)とは直訳すると「取り残された者たち」という意味であり、携挙によって地上に残された人々の視点から物語が描かれている。
あらすじ
物語は、ある日突然、世界中で数百万人もの人々が跡形もなく消え去るという未曽有の出来事から始まる。
ジャンボジェット機の機長レイ(ニコラス・ケイジ)は、飛行中に乗客の一部が突然消失するという異常事態に遭遇する。
高度約3,000フィートの上空で機内は大混乱となり、さらに地上との通信も途絶えてしまう。
地上で危機的状況に置かれた娘を案じながらも、レイは機長として残された乗客の命を守る決断を迫られる。
映画としては典型的なパニック作品だが、その背景にはキリスト教の終末論が色濃く描かれている。
原作と「携挙」
原作は、アメリカの牧師ティム・ラヘイと作家ジェリー・B・ジェンキンズによるベストセラー小説『レフト・ビハインド』シリーズである。
作品のテーマとなっているのは、新約聖書に記される 「携挙(けいきょ)」 という終末論だ。
携挙の根拠としてよく引用される聖句は、以下の二箇所である。
テサロニケ人への手紙 第一 4章16-17節
主ご自身が号令と御使いの声、神のラッパの響きとともに天から下って来るとき、キリストにあって死んだ人々がまずよみがえる。
その後、生き残っている私たちが彼らとともに雲に包まれて空中へ引き上げられ、主と会う。
コリント人への手紙 第一 15章51-52節
私たちはみな眠る(死ぬ)のではなく、一瞬にして、たちまち変えられる。
終わりのラッパが鳴り響き、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられる。
福音派をはじめとする一部のプロテスタント教会では、これらの聖句を携挙の根拠として理解している。
携挙のタイミング
携挙がいつ起こるのかについては、キリスト教の中でもさまざまな解釈が存在する。
一般的によく知られているのは、次の三つの説である。
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患難前携挙説
七年間の大患難時代が始まる直前に携挙が起こるとする説で、福音派では広く支持されている。
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患難期中携挙説
七年間の患難時代の中間、約三年半が経過した頃に携挙が起こるとする説。
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患難後携挙説
教会も大患難を経験し、その終わりにキリストの再臨と同時に携挙が起こるとする説。
患難前携挙説では、携挙の前兆として次のような出来事が挙げられる。
- 信仰から離れる人々(背教)の増加
- 道徳や倫理観の乱れ
- 戦争や紛争の拡大
- 地震や飢饉など自然災害の増加
- 世界規模での混乱
これらはマタイ24章で語られる「産みの苦しみ」の始まりとも関連付けられている。
その後、携挙によって信仰者が地上から取り去られ、大患難時代が始まり、反キリストが現れる。
そして最後にキリストが再臨し、千年王国が始まるという流れで理解されることが多い。
最近の世界情勢を見て
もちろん、私はクリスチャンではないし、日本人の多くにとっても馴染みの薄い教えである。
しかし、中東情勢の緊迫化や世界各地で続く自然災害、異常気象などを目にすると、このような終末論を題材にした作品が妙に現実味を帯びて感じられることがある。
実際には偶然の積み重ねなのかもしれないし、人間は不安な時ほど物事に意味を見いだそうとする生き物でもある。
それでも、一度こうした知識に触れると、潜在意識のどこかに残り続けるのは確かなようだ。
映画はあくまで娯楽作品であり、終末論の解釈も教派によって大きく異なる。
それでも、こうした作品をきっかけに聖書や世界情勢について考えてみるのも、一つの楽しみ方なのかもしれない。
いずれにしても、今後どのような困難が訪れたとしても、過度に恐れることなく、冷静に状況を見極めながら行動していきたいと思う。